春日神社について

由緒・歴史
由来

春日神社は、後の天智天皇となる中大兄皇子(626年〜672年)が長津の宮(現在の高宮)に居られる時、春日の地に天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祀られたことに由来する。天児屋根命は、春日権現とも呼ばれ、神仏習合の神といわれている。

はじまり

時は神護景雲二年(768年)。太宰大弐であった藤原田麿は、春日の地に藤原家の祖神である天児屋根命が祀られていることを知る。
そこで参拝した後に、故郷である大和の国(現在の奈良)の春日大社から、雷の神・剣の神といわれる武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、その武甕槌命と関係が深いといわれる経津主命(フツヌシノミコト)、姫大神(ヒメオオカミ)を迎え、神社を創建することとなる。

焼失

長きにわたり、春日の地を見守り続けてきた春日神社だが、天正十四年(1586年)七月、戦乱の兵火にかかり、社殿や宝物、文書の一切を焼失してしまう。羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が日本を平定しようとしていた当時、一時期に比べると戦乱は収まりつつあったが、それでも未だ各地では争っている地域があり、春日神社もそれらに巻き込まれる形となる。

再興

戦火で全てを失った春日神社だったが、慶長五年(1600年)に黒田長政公が筑前国主に任命される形で、その家老である黒田一成公が春日村知行領主となる。この一成公は、祖先が藤原氏であることから社殿の復興を命じられた。寛永四年(1627年)に春日神社の再興に至る。関ヶ原の戦いが行われ、後に300年にわたる平穏な江戸時代が興る分岐点となる年に、春日神社にも新しい命が吹き込まれた。

その後、元禄九年(1696年)には、三代知行領主黒田一貫公により社殿を境内上段に引き上げられ、遷宮の大礼がなされる。

そして現在

そこで平成八年(1996年)に社殿の総改修、境内地整備を行い、現在に至る。
境内には、福岡四代藩主綱政公や六代藩主継高公が奉献された石灯籠、高麗拘、鰐口秋月四代藩主黒田長貞公が奉献された庚申面があることからも、歴代藩主の崇敬の深い神社であることが伺える。

神苑Photo

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